雑記166 『あとがたり』

将来、声優を志望している人は、是非とも『あとがたり』を聴くべきだと思う。


『あとがたり』とは、アニメ『化物語』について、声優が自分たちの仕事について振り返る、いわゆる「あとがき」です。
そこでの声優さんたち、特に神谷浩史さんの語りから「声優の演技に対する姿勢」が見えてきます。


私が特に感じたのは、彼はアニメのキャラに対して、細かに人間観察をしているということです。
彼は「演じる」ためにそのキャラクターを良く知って、心をトレースしているのでしょう。
ここではあえて、本文(というか本音声)を引用するのは避けようと思います(私の拙い文章よりも、本人の口から直接聞いたほうが絶対良いでしょうから)。


ですので、ここでは「人間観察」について語ろうと思います。
ここで言う「人間観察」というのは、単に「街中の人を眺めてその外見からどんな人なのか想像する」という表面的なものではなくて、
その人が過去にどんな出来事に遭って、どんな人と出会って、そこから何を得て、結果「どんな信条でもって物事を判断しているか」という、極めて内面的なものです。
そして、こうした深い観察が行えるようになるためには、ある種、サンプルデータのようなものが必要になると思います(言い方は悪いですが)。
簡単に言うと、「あぁこういう奴、俺の知り合いに居たなぁ」ってことです。


よく、声優のラジオを聴いていると「声優になりたいが、大学へ行こうか、専門学校へ行こうか迷っている」という視聴者からのハガキが読まれたりします。
そこでは声優さんは必ず、大学進学を勧めます。
彼らは、演技をする上で人生経験はとても大事で、それが演技の引出しになる、と言います。
私もその通りだと思っていて、その「人生経験」というのが、「サンプルデータ」なのではないかと思っています。


大学に行くと、本当に多くの人と出会います(どう生活したかに因りますが)。
私は酒の席やゼミ活動、サークルを通して、たくさんの人の心に触れました(嫌いな人も含めて)。
皆、私と出会うまでに様々なことを経験し、その結果、得られた「信条」はひとりひとり異なっています。
サンプルといえば、アルバイトも私にとっては良い経験になりました。
私は塾の講師をしていましたが、そこでは、あらためて(大人になった自分の視点から)思春期の子供達と触れ合う機会を得ました。


そうして得た、ひとつひとつのデータが、人を見る目を養い、彼の言う、キャラクターへの「解釈」の手がかりになるのだろうと思います。
なんて、偉そうなこと語っちゃってますね、自分。
思わず、神谷浩史さんの言葉をきっかけに、演じるというのはどういうことなのか、考えさせられてしまいました。